はじめてのお伊勢参り

2017年10月8日

唐突にその日はやってきました。

学生時代に伊勢神宮の存在を知り、その後、熨斗の仕事にかかわるようになったのち、熨斗というものが伊勢神宮や国崎と縁のあるものと知り、いつか行くべき場所であるという想いは強く感じていたのですが、その日は突然に訪れました。

行ける、行きたい、行こう!

特別なきっかけがあったわけで無ないのですが、予定の空いた週末に、突然思い立ち、深夜の高速を走り、途中に仮眠を取りながらも700キロの道を走り、念願の伊勢につくことが出来ました。

その日はたまたまお祭りだったようで多くの人と賑わいを感じました。

伊勢神宮においては、初めに、外宮に

その後、続けて、内宮にご参拝させていただきました。

 

熨斗に関わるようになってから、神社仏閣をお参りすることが日常になりつつあるこの頃でしたが、やはり、伊勢神宮は特別で、参拝する人や自然からも前向きな気持ちをいただけたように感じます。

宿泊先もあるわけでなかったので、ご参拝後、日が落ちる前にやや勇み足で、国崎に向かいました。

国崎には、熨斗鮑を語るうえで欠かせない海士潜女神社があります。

山道を走りぬけ途中で不安にかられながらも、舗装のされていない山道を越え、念願の海士潜女神社に到着することが出来ました。

突然の訪問だったので神主様とお話しすることはできませんでしたが、このプロジェクトを進める中でまた必ず、立ちよる場所であることを確信していたので、次回の訪問を前向きにするためにも散策しすぎずにその場を立ち去りました。

伊勢は素晴らしい場所でした。

最後に伊勢エビを頂き帰路にこの日は就きました。

伊勢にはまだまだお話しをしたい人、訪れたい場所がたくさんありました。

遠くないうちに、また、必ず訪れることになる場所だと思いました。

結納司さねまつ/佐賀県佐賀市

佐賀県 結納司さねまつ様

個人的な人脈で佐賀出身の友人と熨斗の話をする機会があり、ご実家の近くに「熨斗屋」の看板をかかげたお店があるということを教えていただきました。

インターネットで調べて見ると結納を専門に扱うお店であることがわかりました。ブログには熨斗について大変魅力的な文章を書かれており、一度お会いしてお話しをお伺いしたいと思うようになりました。

そんな折り、その友人が結婚を前にさねまつ様で結納をする運びとなり、お打合せの日に同席したいとご相談させていただき念願のご面談の機会を頂戴することができました。

 

 

2017年8月18日のことです。

友人とは現地集合の約束をし、愛媛から車で佐賀に向かいことにしました。長距離の運転になるので、安全面を考慮し、弊社の及川と2名で交代しながら向かいます。

愛媛県の最西端の佐田岬よりフェリーにて大分に渡航。

さねまつ様は世界遺産の三重津海軍所跡の近くにあり、予定より早く付いたので世界遺産を観光した後、お約束のお時間に、結納司さねまつの実松様にご面談をすることが出来ました。

結納についてのお打合せをひとしきり終えたのちに、お名刺交換をさせていただき、熨斗についていろいろとお話しさせていただきました。さねまつ様の知識は、大変素晴らしく中でも印象的だったのが「うみたけ」のお話しでした。

「うみたけ」とは、海茸と書き、有明海などで採れていた大型の貝類で、鮑と代用品として結納の熨斗に使用していたようです。さねまつ様ではその「うみたけ」から熨斗を作っており、知られていない日本の伝統工芸に触れることができました。

近年では、海茸自体も有明海で採りにくくなり、また、結納でも天然素材の熨斗を使う機会は減り、変質しにくい科学合成繊維で熨斗を作るのが一般的になっております。

しかし、依頼があれば年に数回、今でも「うみたけ」の熨斗を製作するようで、店頭でお守りとして購入させていただきました。

 

他にも、神の世界には色が無いお話し、末広がりの由来のお話し、京都の香典返しが黄白の理由など、一つ一つが大変魅力的なお話しばかりで、時間があっという間に過ぎてゆきました。

 

技術継承も円滑のようで本当に素晴らしいお人柄を感じました。

またいつか結納司さねまつ様に再びお伺いしたいと感じた旅でした。

齋藤和胡先生との出会い

熨斗を学ぼうと関連のありそうな書籍やネットの記事を読んでいる中、2016年の年末頃に、ある本との出会いがありました。

その書籍の名前は【なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?】

初版の発売日はなんと2016年12月

まさに自分が命題としていたものが、まさにその時に発売された事実を心から嬉しく思うと同時に早速手に取ることにしました。

 

本の内容としては、熨斗の歴史や文化などをとても分かりやすく、それでいて詳しく丁寧に書かれているものでした。その見識は多岐にわたり、折り方や色などの意味などはこの本を手に取るまで知らなかったことも多くあり、また実用的な使い方の作法まで書かれています。新たに熨斗に関心が湧いた人は、まずはこの本を1冊手にすることを推奨するに相応しい内容でした。

 

自分が探していた多くの資料を一度に手にすることができ、これは是非著者である齋藤先生とお話ししたいと思い、先生が定期開催されている講習に応募させていただき、ご面談の機会を頂戴致しました。

 

2017年3月9日

東京にある齋藤先生のご自宅にお邪魔致しました。

先生とのお話しは終始驚く事ばかりで、曖昧だった知識や情報を、全て回答に近い形でご教授いただき、点と点が繋がり、線になってゆく様を体感することができました。

中でも印象的だったのが、大正時代の熨斗を見せて頂いたこと。

それは、今まで見たことのある熨斗とは、紙のデザインの使い方や鮑のモチーフの大きさなど、あきらかな違いがいくつかあるのですが、形状やこれまで学んできた基本的な考えはきちんと反映されており、自分の自信につながる体験となりました。

加えて熨斗を語るには欠かせない要素である「折り方」の文化を改めて認識することができたことなどが、非常に大きい意味あいのあるものだったように感じております。

齋藤先生の知識やお持ちの情報などは、簡単に伝えられるものでも無いので、このブログを通じで1つ1つを丁寧にご紹介できればと考えております。

 

上田屋のし店 / 長野県飯田市

長野県 上田屋のし店様

日本に折り熨斗の製造を生業としている企業は、現在、私の知る限り2社しかありません。1社が弊社株式会社エム・パック。そして、もう1社が、長野県飯田市にある有限会社上田屋のし店様です。その中でも上田屋のし店様は歴史も古く、また折り熨斗作成以外の事業もされていないことから、まさに日本の熨斗を代表する会社様だと思います。

 

 

2016年10月12日

私が、エム・パックの熨斗事業の継承のプロジェクトを進行するにあたり、社員を除いて、最初に取材させていただいたのが、長野県飯田市にある上田屋のし店の宮島様でした。

弊社は、上田屋のし店様とは私が生まれる以前の創業期から約半世紀以上にも渡り長くお取引をさせて頂いております。

私自身、お伺いさせていただくのは初めてで、この度のご訪問について、期待と不安を胸に向かいました。まだまだ折り熨斗について一般的な知識も浅かった私に、とても丁寧にご教授いただきました。

 

特に印象深かったのが、・飯田水引の起源となった「結紐(ゆいひも)」のお話しでした。

飯田で水引が産業となった背景として、当時の大名様の政策として、雪国でも冬の産業として行なえる侍がちょんまげを結ぶ結紐を作ったこと。断髪令の後、製作方法が似ている水引生産に変わっていったこと、そしてご祝儀袋の生産拡大の中で、折り熨斗の必要性が大きくなっていった旨を教えて頂きました。

また、上田様の父であるご先代と、私の叔父や祖父とのプライベートなエピソードもお伺いでき、とても感慨深いものありました。

 

宮島様は、数多くの熨斗に関る文献も保管、収集されているようで、その時に柳田國男先生の熨斗についての文献のコピーを頂き、大変、勉強になりました。

上田様は、世界に1台のみであろう自社開発の折り熨斗生産専用の機械をお持ちで、自身の子供のように誇りをもって愛されているご印象を受けました。

 

折り熨斗の世界の魅力の一つに、熨斗にかかわるお仕事をしている人の、人としての姿勢の美しさを感じました。

定期的のご訪問させていただき、自身の活動をご報告にお伺いしたいと感じた次第です。

ごあいさつ

この度、「熨斗の世界」という名前のホームページを開設させていただく運びになりました。本日は、ホームページ開設の経緯などをご説明させていただくとともに、本サイトの主旨や、これから、熨斗についての思いや取り組みなどについて、ご紹介ご報告させていただきます。

【自己紹介】

はじめまして。私は、のし太郎と申します。

紙の町と呼ばれる愛媛県四国中央市生まれ、2018年現在34才です。現在は紙加工品などのOEMを受託する株式会社エム・パックにて、営業として勤務しており、日頃から幅広い紙製品に携わらせて頂いております。

 

【ホームページ開設の経緯】

私は、家業が折り熨斗の製作を行う家で生まれました。

私自身、幼少期から折り熨斗に触れる機会が多く、幼き頃に見ていた加工所の景色を覚えております。

1960年代ころから、私の祖父である故・南克美(かつみ)が、妻・美子(よしこ)と共に、自宅で金封などにつける折り熨斗の製造を開始したようです。

その後順調にお取引先も増え、1978年には熨斗の製造販売を行う会社として「有限会社みなみ」を設立。そして、折り熨斗製造で培った紙加工のノウハウを、文具や雑貨などの製造に広げ1991年に株式会社エム・パックに登記名を変更。事業拡大後も、変わらずに折り熨斗の製造は、私の叔父である南公司(ただし)により続けられ、始業から50年以上たった現在も日々変わらず折り熨斗の製造を続けております。

 

 

【熨斗事業の継承】

現在、株式会社エム・パックにて熨斗を製作している南公司の定年退職も近くなり、株式会社エム・パックとして折り熨斗の事業をどのように継続するかという問題に直面しました。

その際、「熨斗事業の継承」において、プロジェクトのリーダーに私が使命されました。2016年の年末頃の話です。

以前からいつも身近にあたり前にあった熨斗。しかし、ずっと身近にあったにも関わらず、その意味や歴史も表面的にしか話せない自分の知識の浅さを痛感するとともに、当事者意識を持つことで初めてあたりまえのことはあたりまえではないと感じるようになりました。

それから、まずは、あらためて学ぶことから始めました。そして、学べば学ぶほど、熨斗に魅了されてゆきました。それは、まさに「熨斗の世界」でした。

 

 

【取材を通じて】

1年あまり取材などを繰り返す中、熨斗の世界の壮大さ、文化、歴史と触れ合う中、ただ、技術的な製造を引き継ぐだけではなく、その、文化的な背景や、知識を引き継ぎ、そしてそれを伝えてゆく必要性を感じるようになりました。

 

・熨斗は「鮑」が起源であること。

・伊勢の天照大御神に関連するものであり「神道」と縁の深いものであること。

・折り熨斗は、「折り方」の文化ともかかわっていること。

・「結納」と深くかかわっていること。

・ご祝儀袋を通じて「水引」の文化ともかかわりがあること。

 

それでいて

 

・日本人でその存在は知らない人はいないものであること。

・しかし、その意味などを知る人は少ないこと。

・製造を行っている人が限りなく少ないこと。

・知識や技術を持ってる人が日本中にいらっしゃるが、

比較的、高齢であり、また、熨斗に博識な人が各地に点在しており、人脈として繋がっていないこと。

がわかってきました。

そして、熨斗について興味関心が湧いた人が、集まれるコミュニティの必要性を感じるようになり、本サイト制作を開始させていただきました。

 

【「熨斗の世界」の役割り】

このサイトの役割としては、

・熨斗についての知識を可能な限り、シンプルかつ的確に情報をまとめ、熨斗に関心のある人にきちんと伝えてゆくこと。

・熨斗に興味のある人同士が出会うきっかけの場となり、歴史や事実の検証を行ってゆくこと。

・日常の生活において印刷熨斗では無く、折り熨斗を使用したい人や企業に、実際の折り熨斗を供給すること。

それを通じて

・熨斗を使用することで相手を思う気持ちを大切にし、その文化を広げてゆくこと。

ができればと考えております。

 

熨斗についての情報のご提供や、ご質問、お取り扱いについてお気軽にこちらにご連絡いただければ幸いでございます。

 

出会いが増えてゆくようであれば、コミュニティを作り、密な情報交換ができるような環境も徐々に整えて行こうと考えております。

またこのブログでは、私のもとに届いた熨斗に関る出会いをきっかけに取材する日記として「熨斗探訪記」として、不定期連載させていただければと存じます。

 

今後とも、何卒、よろしくお願い申し上げます。