日本に折り熨斗の製造を生業としている企業は、現在、私の知る限り2社しかありません。1社が弊社株式会社エム・パック。そして、もう1社が、長野県飯田市にある有限会社上田屋のし店様です。その中でも上田屋のし店様は歴史も古く、また折り熨斗作成以外の事業もされていないことから、まさに日本の熨斗を代表する会社様だと思います。
2016年10月12日
私が、エム・パックの熨斗事業の継承のプロジェクトを進行するにあたり、社員を除いて、最初に取材させていただいたのが、長野県飯田市にある上田屋のし店の宮島様でした。
弊社は、上田屋のし店様とは私が生まれる以前の創業期から約半世紀以上にも渡り長くお取引をさせて頂いております。
私自身、お伺いさせていただくのは初めてで、この度のご訪問について、期待と不安を胸に向かいました。まだまだ折り熨斗について一般的な知識も浅かった私に、とても丁寧にご教授いただきました。
特に印象深かったのが、・飯田水引の起源となった「結紐(ゆいひも)」のお話しでした。
飯田で水引が産業となった背景として、当時の大名様の政策として、雪国でも冬の産業として行なえる侍がちょんまげを結ぶ結紐を作ったこと。断髪令の後、製作方法が似ている水引生産に変わっていったこと、そしてご祝儀袋の生産拡大の中で、折り熨斗の必要性が大きくなっていった旨を教えて頂きました。
また、上田様の父であるご先代と、私の叔父や祖父とのプライベートなエピソードもお伺いでき、とても感慨深いものありました。
宮島様は、数多くの熨斗に関る文献も保管、収集されているようで、その時に柳田國男先生の熨斗についての文献のコピーを頂き、大変、勉強になりました。
上田様は、世界に1台のみであろう自社開発の折り熨斗生産専用の機械をお持ちで、自身の子供のように誇りをもって愛されているご印象を受けました。
折り熨斗の世界の魅力の一つに、熨斗にかかわるお仕事をしている人の、人としての姿勢の美しさを感じました。
定期的のご訪問させていただき、自身の活動をご報告にお伺いしたいと感じた次第です。